明けましておめでとうございます。
私がみやざき印刷の仕事を手伝い始めて53年、法人にしたのが1987年(昭和62年)、1981年(昭和56年)に父親から引き継いで、すでに39年が経過しました。手伝い始めたころは、活字を使う活版印刷の全盛期。会社の中には活字を入れておく、「ウマ」と呼ぶ棚が所狭と並んでいました。昭和56年入院した父親から仕事を引き継ぎ、オフセット印刷に転換。それでも父親から引き継いだ「ウマ」はとても邪魔者でしたが捨てられず、5年間は社内にドンと構えていました。友人を従業員に引きずり込み、機械の運転を担当、私は営業に奔走しました。時代はまだ好景気が続き、売上はうなぎ登りに増加の一途。しかし良い時は長続きせず、売上の7割を占めていた定期の仕事が突然なくなり、一時は仕事を辞める決意もしました。だがこんなことでは辞められないと、一年間で7割近い売上に復活。特定の企業に集中するのでなく、多くの得意先を抱える会社へと転換をしたのもこの頃です。その後は若い人材も増加、朝私が出勤すると、機械の横で新聞紙に横たわる従業員の姿、朝まで機械を回していたようだ。こんなパワーを持った従業員ともう一度頑張るかと、1991年に多額な借金をして八王子に工場を作ってしまった。同時にデジタル転換も思い切って断行しました。この頃は弊社の最大の隆盛期で、工場探しも従業員と共に走り回り、5tもある機械の土台作りに土を掘り、コンクリートを入れるため、ユンボとダンプを借りて、皆なで力を合わせたことが目に浮かびます。私が46歳の時で、まだまだ若くエネルギーが溢れていたようです。時はバブル崩壊の直前という事もあり、7年間は売上も一気に上昇に転じました。しかし長くは続かず、16年後には見切りをつけ八王子を撤退しました。今は借家として他の会社に貸しています。簡単な沿革を書きましたが、今想えば楽しかった事ばかりです。現在の弊社は「半径5kmが商圏」が合言葉で、地域に根ざし顔の見える会社として、顧客の皆さんと話し合い、知恵を出し合い、レスポンスよく共に発展する会社を目指しています。アナログ的ですが、デジタル全盛の時代にはとても大切なことです。
今年60周年を迎ますが、これもお得意さま皆々様のこれまでのご支援ご協力の賜物と感謝しております。3年前には長男の宮崎直行が三代目の後継者となり、会社を盛り立てています。新たな令和の年にあたり、より一層のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。
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