それは2000年の12月だった。師走も押し詰まった12月19日、オウム真理教が京王線千歳烏山駅から5分程の、とあるマンションの1・2階を占拠した。明けて1月4日には、どのような意図を持ったのか、暴力団がオウム真理教施設の扉に発砲するという事件も起こり、住民の恐怖は一層高まった。1月9日に住民決起集会が区民センターホールで開催され、定員350人のところ、すべての通路は人で埋め尽くされ、700人を超える住民が集まった。記憶に新しい地下鉄サリン事件から5年目の出来事に住民の表情は固く、恐怖を滲ませた顔が会場を埋め「なぜ烏山にオウム真理教が来るんだ」と皆口々に叫んだ。烏山地域オウム真理教(現アレフ)対策住民協議会が正式に結成され、オウム真理教に対する反撃の口火が切られた。世田谷区の職員もふくめ、町ぐるみ、団体ぐるみで住民の監視活動が開始される。活動継続に必要な募金を集めるため、婦人たちは地域のお祭り・イベント会場でその役割を担った。「かわら版」が発行され、2年後には、オウム真理教の実態や協議会の活動を知らせる、住民協議会ニュースが年10回発行されるようになった。オウム真理教はすでに名称を変更し、アレフという団体名を使うようになっていた。その中心人物こそが、3年にわたる勾留生活を経て出所した、「ああ言えば上祐」「ジョウユウガール」で有名となった、上祐史浩本人である。