人は興味のある趣味の事であれば、様々な形で情報をキャッチしたり、仲間と付き合うことで教えたり教えられたりして知識を蓄積する。ところが関心がない物事には、人は案外無頓着でいられるものだ。先月「ゲッベルスの秘書」という本を読んだが、ドイツをヒトラーが支配していた頃の回想録だ。彼女の名はブルンヒルデ・ポムゼルという。ゲッベルスはヒトラーのもとで「宣伝省」を束ねていた人物で、彼女は幾人かいる秘書のなかでも、信頼が厚かった。106歳で死去しているが、103歳の時当時を回想し「私は何も知らなかった」「私は何も分かろうとしなかった」「私は秘書の仕事を熱心に忠実にやってきた」「わたしには何の罪もない」「私はタイプライターを打つだけだった」と述べ、自らの罪は認めようとしない。知ろうとすれば知り得ただろうに、知ろうとはしなかった。まさに「凡庸(平凡)な悪人」だ。だが、昔の話と片付ける訳にはいかない。近頃、強い言葉で反対派を挑発する人物が、国の内外でも台頭してきている。そんな人物の強い言葉に、魔術にかけられるがごとく、吸い寄せられて行く傾向がある。テロによる難民や貿易問題など、全世界で何かが変わってきている。無頓着ではいられない。もっと知らなければいけない時代が来ているようだ。